立待岬の先端から少し北側に、与謝野寛・晶子の歌碑がありました。立待岬に来るとまず津軽海峡に目が行くので、その反対側にあるこの歌碑には気づきにくいかもしれませんね。 二人が、昭和6年に函館を訪れた際に詠んだ歌、「浜菊を 郁雨が引きて 根に添ふる 立待岬の岩かげの土 寛」、「啄木の草稿 岡田先生の顔も忘れじ はこだてのこと 晶子」と記されていました。
立待岬の湯の川温泉側に、岩の中に埋め込まれている形でにこちらの歌碑がありました。その横には説明板もあります。 歌碑には、与謝野寛と与謝野晶子の歌が並んで記されていました。津軽海峡を見渡すことができる立待岬の、海とは反対側にあるので、見つけにくいかもしれませんね。
岬の手前左手。与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑が岩に埋め込まれています。ちょっと見落としがちかも。天才歌人・石川啄木と夫妻の関係性を知ると、立待岬の風景に哀愁を感じることができるかもしれません。
立待岬を目標に谷地頭から歩いていくと、途中で石川啄木一族の墓あり、そして岬の入口付近、階段をおりていくと「与謝野寛・晶子の歌碑」があります。函館と文学、似合いそうな街です。字は判明できません。
1957年に立待岬に建立された歌碑。駐車場手前の散策路に立っている。 碑に刻まれた歌は、1931年に夫妻が函館を訪れた際に詠んだもの。 何か特徴がある訳ではないので、立待岬に行った際に時間があれば寄ってみるのもいいでしょう。
立待岬近くに与謝野寛・晶子の歌碑
立待岬の先端から少し北側に、与謝野寛・晶子の歌碑がありました。立待岬に来るとまず津軽海峡に目が行くので、その反対側にあるこの歌碑には気づきにくいかもしれませんね。 二人が、昭和6年に函館を訪れた際に詠んだ歌、「浜菊を 郁雨が引きて 根に添ふる 立待岬の岩かげの土 寛」、「啄木の草稿 岡田先生の顔も忘れじ はこだてのこと 晶子」と記されていました。
立待岬に建つ歌碑
立待岬の湯の川温泉側に、岩の中に埋め込まれている形でにこちらの歌碑がありました。その横には説明板もあります。 歌碑には、与謝野寛と与謝野晶子の歌が並んで記されていました。津軽海峡を見渡すことができる立待岬の、海とは反対側にあるので、見つけにくいかもしれませんね。
与謝野夫妻と啄木は交流がありました
岬の手前左手。与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑が岩に埋め込まれています。ちょっと見落としがちかも。天才歌人・石川啄木と夫妻の関係性を知ると、立待岬の風景に哀愁を感じることができるかもしれません。
最果ての岬の石碑は何だか物悲しい
立待岬を目標に谷地頭から歩いていくと、途中で石川啄木一族の墓あり、そして岬の入口付近、階段をおりていくと「与謝野寛・晶子の歌碑」があります。函館と文学、似合いそうな街です。字は判明できません。
時間があれば
1957年に立待岬に建立された歌碑。駐車場手前の散策路に立っている。 碑に刻まれた歌は、1931年に夫妻が函館を訪れた際に詠んだもの。 何か特徴がある訳ではないので、立待岬に行った際に時間があれば寄ってみるのもいいでしょう。