堀川沿いに有る小さな公園です。江戸時代には宮宿から伊勢桑名まで渡船があり、ここから多くの人たちが乗船していきました。当時の様子を絵図などで紹介しています。
熱田神宮の南門を出て徒歩10分ちょっと。 かつて東海道の宮宿から桑名宿までを海路で結んだ「7里の渡し」の船着場が公園として整備されています。 現在では埋め立てが進み公園の前には川というより運河が流れていますが、江戸時代までは目の前まで海が迫り東海道の中でも難所のひとつだったそう。 公園には常夜灯や時刻を知らせる鐘撞台が復元され、周りの古い町並みと併せてかつての宮宿の賑わいを偲ぶことができます...
車で行きましたが公園には駐車場がありません。 熱田神宮の南門から徒歩約15分ほどの場所にあります。小さな公園。 「堀川」と「新堀川」が合流する地点の「七里の渡し」という船着場。三重県の「桑名宿」までを結ぶ船が運航していたので三重県桑名市にも「七里の渡し」があります。江戸時代へ伊勢や京都を目指した旅人たちの熱田〜桑名まで水路を利用した船着場です。
もう、今の地勢ではまったく感覚がつかめないところ。熱田神宮から歩いて20分ほどのとことでしょうか。今となっては河口からは多少離れたところにありますが、かつては、ここから桑名までは海路であったとのこと。それが東海道そのものであったということなので、遠く思いをはせることができる場所です。それでも、漁船なのか、随分と小型の船舶が係留されていました。雰囲気はあります。
熱田神宮に参拝した後、旧東海道を散策しながら宮の渡し公園へ行きました。昔はここから船で桑名まで七里の船旅で行ったんだと思うと感慨深いものがありました。たぶん、宮の渡しから西には木曽三川が流れているので簡単には渡れないので海上航路を作ったんだろうなと想像しました。
桑名まで乗船しました
堀川沿いに有る小さな公園です。江戸時代には宮宿から伊勢桑名まで渡船があり、ここから多くの人たちが乗船していきました。当時の様子を絵図などで紹介しています。
「7里の渡し」の船着場が公園として整備されています
熱田神宮の南門を出て徒歩10分ちょっと。 かつて東海道の宮宿から桑名宿までを海路で結んだ「7里の渡し」の船着場が公園として整備されています。 現在では埋め立てが進み公園の前には川というより運河が流れていますが、江戸時代までは目の前まで海が迫り東海道の中でも難所のひとつだったそう。 公園には常夜灯や時刻を知らせる鐘撞台が復元され、周りの古い町並みと併せてかつての宮宿の賑わいを偲ぶことができます...
熱田神宮の近く
車で行きましたが公園には駐車場がありません。 熱田神宮の南門から徒歩約15分ほどの場所にあります。小さな公園。 「堀川」と「新堀川」が合流する地点の「七里の渡し」という船着場。三重県の「桑名宿」までを結ぶ船が運航していたので三重県桑名市にも「七里の渡し」があります。江戸時代へ伊勢や京都を目指した旅人たちの熱田〜桑名まで水路を利用した船着場です。
想像を豊かに臨むところ。
もう、今の地勢ではまったく感覚がつかめないところ。熱田神宮から歩いて20分ほどのとことでしょうか。今となっては河口からは多少離れたところにありますが、かつては、ここから桑名までは海路であったとのこと。それが東海道そのものであったということなので、遠く思いをはせることができる場所です。それでも、漁船なのか、随分と小型の船舶が係留されていました。雰囲気はあります。
七里の渡し
熱田神宮に参拝した後、旧東海道を散策しながら宮の渡し公園へ行きました。昔はここから船で桑名まで七里の船旅で行ったんだと思うと感慨深いものがありました。たぶん、宮の渡しから西には木曽三川が流れているので簡単には渡れないので海上航路を作ったんだろうなと想像しました。