勝瑞城址として、小さな堀に囲まれたところ。何となくホッコリする場所ですが、それは小ささからくるものなのかもしれません。のんびり見ることができる場所ですので、是非。
霊山寺から徳島に向かう途中で発見しました。こんなところにこんなものがと驚くものです。 案内板を見てびっくりです。歴史の面白さを堪能することができます。
藍住歴史かるた解説書(藍住町教育委員会)によれば、儒学者那波魯堂が書いたもので、阿波三好家主従の敗戦、離散した歴史を惜しみ、戦死者を弔うために天明3年(1783年)に建てられたとされる。 県道14号線を挟んで南側に城館跡があり、濠などの跡が再現されていますので、ついでに訪問されるとよいでしょう。
勝瑞城館跡にある、見性寺境内に建っている古い石碑。藍住町の文化財に指定されています。戦国大名三好家の盛衰と、戦没者の慰霊文を記した歴史的記録、と説明板にあります。雨よけの屋根がある石碑です。
こじんまりした城址
勝瑞城址として、小さな堀に囲まれたところ。何となくホッコリする場所ですが、それは小ささからくるものなのかもしれません。のんびり見ることができる場所ですので、是非。
こんなところに
霊山寺から徳島に向かう途中で発見しました。こんなところにこんなものがと驚くものです。 案内板を見てびっくりです。歴史の面白さを堪能することができます。
落城の哀感伝える義冢の碑(藍住歴史かるた「ら」)
藍住歴史かるた解説書(藍住町教育委員会)によれば、儒学者那波魯堂が書いたもので、阿波三好家主従の敗戦、離散した歴史を惜しみ、戦死者を弔うために天明3年(1783年)に建てられたとされる。 県道14号線を挟んで南側に城館跡があり、濠などの跡が再現されていますので、ついでに訪問されるとよいでしょう。
見性寺境内にある、立派な石碑
勝瑞城館跡にある、見性寺境内に建っている古い石碑。藍住町の文化財に指定されています。戦国大名三好家の盛衰と、戦没者の慰霊文を記した歴史的記録、と説明板にあります。雨よけの屋根がある石碑です。