江戸城でよその大名が腹痛になったときに、正甫が持っていた反魂丹という薬を与えるとすぐに良くなったことから富山の薬が知れ渡るようになったというお話から、富山の薬が有名になったという伝説?がある。今でいうトップセールスか。薬産業を奨励したほか、薬売りが各地に向かいやすいように街道を整備するなどの施策も行ったとか。富山藩の名君。
富山城址公園内に大きな立像が建っていました。富山藩2代目として藩内の産業を発展させ、特に薬には大きな名を残しています。ただ遊び好きという話もあります。
お隣の金沢には前田利家の銅像があったと思うが、ここ富山にも富山藩二代目藩主、前田正甫の像が建っていた。初代藩主前田利次の像はないので、2代目のほうが藩の発展により多く寄与した?のだろうか。見上げる高さの立派な像。像の背後を流れる松川が神通川の旧河道であり、岩瀬の浜からは8kmも内陸にある。
富山城址公園内にある像。 前田正甫公は富山藩の第二代藩主で初代藩主・前田利次の次男として生まれました。 金沢藩の支藩として成立した富山藩を任された前田正甫公は新田開発や治水工事をはじめ製鉄業などの産業奨励を積極的に行い、さらに富山の反魂丹などの製薬業を奨励したことから越中富山の薬売りの元祖とも言うべき人ですね。 台座もいれれば高さ10mもある立派な銅像でした。初代の前田利次をはじめ他...
富山城址公園内に建っています。 台石を含めた高さ10mの像です。 「反魂丹伝説」の人です。 富山藩の産業育成の一つとして売薬システムを編み出した起業家でもあります。
反魂丹をトップセールス
江戸城でよその大名が腹痛になったときに、正甫が持っていた反魂丹という薬を与えるとすぐに良くなったことから富山の薬が知れ渡るようになったというお話から、富山の薬が有名になったという伝説?がある。今でいうトップセールスか。薬産業を奨励したほか、薬売りが各地に向かいやすいように街道を整備するなどの施策も行ったとか。富山藩の名君。
越中売薬には大きな功績を残しました
富山城址公園内に大きな立像が建っていました。富山藩2代目として藩内の産業を発展させ、特に薬には大きな名を残しています。ただ遊び好きという話もあります。
初代ではなくなぜか2代目だけ銅像があった
お隣の金沢には前田利家の銅像があったと思うが、ここ富山にも富山藩二代目藩主、前田正甫の像が建っていた。初代藩主前田利次の像はないので、2代目のほうが藩の発展により多く寄与した?のだろうか。見上げる高さの立派な像。像の背後を流れる松川が神通川の旧河道であり、岩瀬の浜からは8kmも内陸にある。
越中富山の薬売りの元祖
富山城址公園内にある像。 前田正甫公は富山藩の第二代藩主で初代藩主・前田利次の次男として生まれました。 金沢藩の支藩として成立した富山藩を任された前田正甫公は新田開発や治水工事をはじめ製鉄業などの産業奨励を積極的に行い、さらに富山の反魂丹などの製薬業を奨励したことから越中富山の薬売りの元祖とも言うべき人ですね。 台座もいれれば高さ10mもある立派な銅像でした。初代の前田利次をはじめ他...
富山売薬を広めたお殿様
富山城址公園内に建っています。 台石を含めた高さ10mの像です。 「反魂丹伝説」の人です。 富山藩の産業育成の一つとして売薬システムを編み出した起業家でもあります。